九十九島 島名考の9 ヨキオトシ 九十九島遊覧船クルーズ50分間の中に見せ場が2度あります。1度目は松浦島の入り江での180度ターン。2度目は下の画像の通り、狭い瀬戸を通り抜ける場面です。 向かって右側の島を「斧落とし(よきおとし)」、左側の島を「丈ヶ島(じょうがしま)」と言います。 「斧落とし」という島名には伝説があり、九十九島ガイドブック「海いっぱいの島たち」には、「昔、殿様が釣りのじゃまになった木を切ろうとして、振り降(ママ)ろした斧を落としてしまった」と書いてあります。 実際ここは良い釣り場らしく、釣りポイントの紹介誌にも掲載されていましたし、釣り人を見かけることもよくあります。 伝説はともかく、島の側面は確かに斧で削ったように垂直近に近い崖になっていますので、斧を落としてできた岩という解釈がなされているようです。 しかしよく考えてみますと、斧で削っていくのではなく斧を落としたのですから、それでできるのは深い溝のはずです。 下の図は、グーグルアースで見た「斧落とし」周辺です。 島々の周辺の海が白っぽく見えるところは浅瀬です。「諸島」と「丈ヶ島」の間の瀬戸は随分浅いことが判ります。それに対して「斧落とし」と「丈ヶ島」の間の瀬戸は色が濃く、深い瀬戸であることが判ります。だからこそ遊覧船が通り抜けていけるわけですが。 本来「斧落とし」は斧を振り落としてできたような深い溝状の瀬戸のことであり、「斧落とし島」は「斧落とし瀬戸にある島」だったのだろうと思います。 この「斧落とし」の島名がどのくらい遡れるかを確認するために江戸時代の絵図(*注)を見ると、1647年の正保絵図と1699年の元禄絵図には記載されていませんが、平戸松浦家に伝わる伊能大図(1813年)には「斧落島」があります。ただし現在の「斧落とし」の場所ではなく、何故か現在の「諸島」(海図では「馬島」)が斧落島になっています。 大図作製の際の間違いではないかと疑い、測量日記と下記の方法で照らし合わせてみました。
※1 長さにつく「斗」の字は「おおよそ」を意味します。 ※2 九十九島の会が島数調査をしたときの整理番号です。 ※3 伊能忠敬は干満の差を意識していなかったそうなので樹木がある範囲の外周を測りました。
測量日記でもやはり大図と同じく、現在の「諸島」を「大斧落島」、現在の「丈ヶ島」南部の大岩を「小斧落島」であるとしています。伊能大図と現在の島名は一致していません。ここで考えられるのは以下の2つの場合です。 1:伊能大図は正しく、後に島名が入れ替わった(たとえば「天目島」は島名が移動しているようです)。 2:測量の際、何かの理由(案内人が間違えた等々)で島名を間違えた。 1の「後に島名が入れ替わった」場合だと、このページの前半で述べた「深い溝状」とかいった説明が根拠を失ってしまいます(+_+)。私としては2のように「誰かが間違えた」ことにして責任を押しつけてしまいたいところです。その場合は、「大小斧落島」と「大小高岩島」が間違われてそっくり入れ替わっていることになります。 |