九十九島 島名考の14 コダキ 石岳展望台に伊能忠敬の九十九島測量を説明した看板が取り付けられています。伊能忠敬の測量は「驚くほど正確」と書かれていますが、九十九島に関しては実はそうでもありません。特に深白島のあたりの島の位置は怪しさいっぱいです。 さらには「ネタギ島」が2つあるというひどい間違いもあるように見えます。下の通り、伊能大図には2ヶ所に「子タギ島」と表記されています。 しかしよくよく見ると「子タギ島」と「子ダキ島」です。濁点の位置が違います。念のため測量日記を確認しますと、こちらの方は「子タキ島」で濁点がありません。 ネタギ島が2つあるなどというあからさまな間違いはこの大図を製作しているときにすぐに気づくはずです。大図を製作した伊能忠敬の弟子は「子タギ島」と「子ダキ島」は別の島だと考えていたに違いありません。 「子タギ島」は通説通りに「根太木島」のことだと考えて良さそうです。島の本体とハナレの瀬の間が根太木で繋がれているように見えます。 では「子ダキ島」とは何でしょうか。もしかしたら「ネダキ」ではなく「コダキ」で、「子抱き島」なのではないでしょうか。それは「子抱き」という言葉ですぐに思い出す島、「オオブカ」が近くにあるからです。下の画像は展海峰展望台から望遠レンズで撮影しました。展望台から肉眼ではこのように見えます。 上の画像の手前にあるのが2つの島の総称が「オオブカ」です。大小2つの親子みたいな島が細長い瀬で繋がっており、満潮時には離れてしまいます。この島ならば「子抱き島」の名前にぴったりです。上の画像のように九十九島遊覧船がすぐ近くを通過します。遊覧船からはこのように見えます。 しかし残念ながら、この「オオブカ=子抱き」説には2つの大きな問題点があります。 まず第1点は、上記の伊能大図には「大深島」がすぐ近くに書かれていることです。これでは大図上に「オオブカ」が2つあることになってしまいます。 第2点は、この大図以外には「子ダキ島」と書かれた資料が一切見あたらないことです(北松浦郡村誌に「子ダギ島」がありますが前後の文から見て誤写のようです)。つまりこの大図の「子ダキ島」の表記は、ここだけの単なる書き間違いとか勘違いだと考える方が理に適っています。 とはいうものの、「オジカ瀬」なども測量日記にまったく出てこないのに、堂々と風景画のように「ヲチカ島」として大図に書き込まれていますし、「帆瀬」なども同様です。測量記録以外の、地元提出の絵地図などの資料を参考にしながら付け加えられたに違いありません。 「子抱き島」が地元提出の資料に「オオブカ」の別称として記載されていた可能性もまったくないとは言えません。 |