九十九島 島名考の3 ナキリ
上の画像は展海峰展望台周辺の灌木が整理された時に撮影したものです。木が生い茂っているときは見えない名切地区がよく見えています。
画面中央は松浦島。九十九島湾内では最大の無人島です。さてその松浦島の手前にある半島。現在は陸続きですが、江戸時代初期の正保国絵図(抜写)(*注)をよく見ると島になっています。 |
上の図は旧版の佐世保市史に掲載された肥前国平戸領絵図(抜写)です。画像下部は俵ヶ浦半島。最下部に「田原浦」の字が見えます。
大きな赤丸に「魚浦村」とあるのは現在の「庵浦(いおのうら)」のことですが、その魚浦の上に島があります。この島は位置から考えて、展海峰から名切地区の先に見えている半島に違いありません。 |
上の画像は国土交通省が公開している航空写真です。この写真を見ると、やはり上名切から下名切までもともと水路であり、現在の半島部分は松浦島に次ぐ程の大きさの島だったと思われます。伊能忠敬の測量日記には「茶(菜?)切浦」から「裏海」ヘ横切と見えますので江戸時代のある時期に干拓され陸地化したものでしょう。佐世保市制100周年を記念して発行されたこの地区の歴史誌「九十九」を見ると、「前島」と呼ばれる島だったという言い伝えがあるそうです。 |
上の画像は伊能忠敬が上陸した「茶(菜?)切浦」と考えられる「下名切」です。干潟が広がる遠浅の海岸です。 「名切」という地名を聞くと、ほとんどの佐世保市民は中心市街地にある名切谷を思い出すはずです。中心市街地の「名切」は今では海からずいぶん離れていますが、近くの本島とか島瀬という町名や、「瀬戸」という字名などから考えて、名切谷付近まで海がせまっていたのでしょう。たぶん中央公園の山は岬として海に突き出していて、俵ヶ浦の名切と似た地形だったはずです。 「名切(なきり)」は伊能忠敬測量日記では「菜切(刊行された日記では「茶切」だが多分「菜切」の間違い)」と書かれていますが、もともとは「浪切(なみきり)」で、海に突き出した岬が寄せてくる波を切り分けるような地形のことだと思います。大辞林を引きますと、「浪切り」は「潮切り(しおきり)」に同じとあり、「潮切り」を引くと「和船で、水押(みよし)の水中にある部分」と書いてあります。ではと「水押」を引きますと「「みおし」の転、船首先端の水を切る部材・・・」となっています。つまり船の舳先を意味しています。上の航空写真でも、この名切地区の半島は沢山の船の舳先が海に突き出しているように見えます。 余談ですが、この名切周辺の字図を見ていますと、小字「上名切」に寄り添うように狭い小字で「伊加土」とあるのが目につきます。現地におもむいてみると、なぜ別の小字でなければならないのかが不思議なくらい狭い場所です。 この、小字「かみなきり」に隣接する小字「いかずち」。 まるで頓知かナゾナゾのようですが、 「上名切→かみなきり→かみなり→雷→いかずち→伊加土」 と変化したのではないでしょうか。つまり小字名が転訛した別称が、あたかも別の独立した小字であるかのように間違われて字図のすきまに無理にはめこまれたのだと思います。 |