歩いて渡る亀子島 

 九十九島湾の南部を包むように伸びる俵ヶ浦半島に「花の森公園」があります。この公園付近の道路から橋で陸地と繋がった「亀子島(かめのこじま)」を遠くに眺めることができます。橋を真横から見る角度です。この時は潮が少し引いているので島は陸続きになっています。

 花の森公園から下って行くと、亀子島の対岸に出ます。満潮時で橋の上部だけが水面から出ています。

 島には建物が建っています。真珠加工場だったのですが倒産してしまいました。この島には行政が「イルカパーク」を造る計画もありましたが、補助金が見込めず立ち消えになっています。

 亀子島には近くの小学校の裏から林の中を数百メートルほど通って比較的容易に行けます。「比較的容易に」というのは、岩だらけで危なっかしく、転んだら牡蠣殻でひどい怪我をしそうな海岸を、潮の干満を気にしながら時速2キロ程で歩くのに比べればまだしもという意味ですが、あまり人が通らない道ですので障害物があったりはします。

 海岸に着くと下の画像のような橋が待っています。

 手前が海岸、奥の方が島、橋の上部は木製で、真珠加工場が稼働していた頃はこの上を車が通ったりしたのかも知れませんが、今は歩いて通るのもためらわれます。

 この時は潮が引いており島は陸と繋がっていましたので、橋の下を歩いて渡ることができました。島はさして大きくはありませんが高さがあり、こんもりと丸い形をしています。亀のように見えなくもありません。

 橋を支えているのは、たぶん付近の海岸で切り出したであろう砂岩の角柱です。波の浸食を受けたのか面白い形に風化しています。こんな形に風化した岩は九十九島の海岸線でよく見かけます。

 「亀子島」は伊能大図では「宮子島」と記載されており少しとまどってしまいますが、明治17年の「長崎県北松浦郡村誌」には「亀甲島」の記載があり、付近の小字名も「亀野小島(かめのこじま)」とあります。また現行の海図にも「亀ノ甲島」と記入されていますので、明治以降は「かめのこじま」あるいは「かめのこうじま」一貫してと呼ばれて来ているようです。

 下の画像は「亀子島」の海岸です。

 このように亀甲模様に風化した海岸を見ていると、現行の海図に記載された「亀ノ甲島」が一番ふさわしい字面のように思えます。

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