芸予地震に遭遇 

 

 春休みと夏休みは一泊程度の家族小旅行をすることにしています。2001年の春休みは車でできるだけ遠くにと考えて、宮島、原爆ドームの世界遺産ミニツアーをすることにしました。いずれも行ったことがありません。

 3月24日午前9時頃佐世保を出発、昼過ぎには錦帯橋に着きました。修学旅行の名所かと思いますが私も家族もはじめてです。お天気も良く、家内が怖いと言うので橋は大急ぎで渡って(^_^;)、橋の向こう側で昼食、散歩。猿回しのイベントも行われていました。

 白蛇も見て、ロープウェイは時間の都合で断念、錦帯橋の真下で記念写真を撮って、もう出発するからねと最後に土産物屋さんに入りました。娘たちがなにやら物色しだしました。

 土産物屋の外に出て待っているとガタガタガタと地面が揺れだしました。私は大型ダンプが通っているのだと思っていました。その程度の揺れが10秒も続いたでしょうか。突然大きな揺れに変わり土産物屋が大きく揺れて屋根の瓦がザーッと落ちてきました。地震です。震度5強。後に芸予地震と命名されました。

 揺れがおさまりかけて、気をとりなおして周りを見ると、家内、長男、次女はすでに外に出ていて無事ですが、長女の姿が見えません。私も家内も動転してあぶないとは思いつつ落ちた瓦を踏んで土産物屋に入り店内を探しました。

 結局長女は別の出入り口から外に出ていて無事だったのですが、もしかしてこの建物は崩れ落ちるのではないかと心配しながら長女を探したことは忘れられませんし、岩国基地の米兵さんなのでしょうか、若い外人男性がまだ揺れている最中に、たぶん家族がいるのであろう土産物屋の中に全速力で走って入って行った光景もよく覚えています。 

 この写真は無事を確認してしばらくしてから撮りました。キヤノンのEOS-New-KISSにマクロスイターCという珍品レンズの組み合わせです。

 右側が土産物屋さんの入り口、奥の自転車のおじさんの向こうに錦帯橋が少し見えています。白い帽子で遠くからこっちを見ているのが家内と娘たちです。

 この後すぐに高速道路の閉鎖と一般道の渋滞で広島方向へは行けなくなりました。余震も怖かったので、一般道の渋滞の中を九州方向にのろのろと逆戻りしはじめ、徳山市にたとりついたのが夜の9時過ぎ。ここで高速が通行可になり福岡に来たのが11時頃。福岡市内のホテルは新幹線がストップしたので満杯。結局午前2時近くに自宅にほうほうの体でたどりつく羽目になりました。

 この写真は、読売新聞2001年3月「読者のニュース写真」で佳作に入選し、電話取材も行われて解説付きで九州版に掲載されました。

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