ユングフラウヨッホ
義弟夫婦の新婚旅行土産にもらったスイスアルプスのガイドブック。その表紙に載っていたのはユングフラウヨッホにあるスフィンクス天文台の航空写真。尾根にポツンと建った天文台は切り立った氷壁の上、氷河が流れ出すほどの雪山にあるのですが、そこに通じる道路は見えません。道路どころかどう考えてもロッククライミングでもしないとたどり着けそうにない場所に立派な建物の天文台があります。しかも氷壁の中程からは岩壁をくりぬいてホテルかレストランのような建物が顔を出しています。私の常識では理解しがたい光景がそこにありました。
これに近い思いは槍ヶ岳山荘の航空写真を初めて見たときにも抱きましたが、このスフィンクス天文台の立地の不可解さは槍ヶ岳山荘の比ではありません。4ヶ国語で書かれていて読みやすいとは言えないこのガイドブックをよく読むと、麓から2000メートルの地点までは急勾配が登れる登山鉄道で山腹を登り、そこから天文台がある標高3400メートルの地点まではトンネルが掘られていて、やはり登山鉄道で登れるのだということが判りました。
2002年の春、JTB佐世保支店が長崎空港からイタリア直行のチャーター機を飛ばすので利用しませんかとの話がありました。長崎空港からヨーロッパ直行というのはあまり例がありませんし、6月20日の出発で季節も良さそうです。私が会長をつとめる団体の旅行にイタリア・スイスの旅として組み込み夫婦で参加することにしました。
気になるのは天気。都市部での観光だけならば少々の雨でもなんとか楽しめますが、山の上での展望を期待している私にとって天候は重要です。出発1週間前から毎日インターネットでスイスの天気予報をチェックしました。当初の予報はなんと「ストーム(嵐)」。長野のアルペンルートの旅で室堂まで行って悪天候で何も見えなかった嫌な記憶がよみがえります。また予想気温が妙に高くスイスでも毎日30度以上で、イタリアは33度以上となっていました。出発前夜もしつこく天気予報をチェックしたところ、私の晴天祈願が通じたのか「嵐」だった予報は「雨または曇」に変わっています。なんとか晴れて欲しいと一縷の望みを抱いて出発の朝を迎えることに・・・・。
さて旅の結果はというと、高速道路での事故渋滞1時間とかローマ空港でのストライキで荷物を2時間待つとかいくつかトラブルはありましたが、天気予報は外れてユングフラウヨッホではこれ以上は望めないほどの晴天に恵まれました。張り切りすぎた私は使い慣れているはずのカメラの操作を間違い失敗写真を量産してしまったのは悔やまれます。
スイスの古都ルツェルンではわずかに雨がふりましたが観光に影響するほどではありませんでした。しかし気温の予報はあたって毎日が30度を越える猛暑の連続。ミネラルウォーターのボトルが手放せません。インターラーケンのホテル・レストランにはヒーターはあってもクーラーは設置されておらず、汗をかきながら料理を食べ、寝苦しさに窓を一晩中全開にしたりしました。
イタリアはさらに暑く、汗かきの私はシャツをぐっしょりにしながらも観光に精を出しました。なんでも6月のスイスとしては50年振り、イタリアはなんと150年振りの暑さだったとか。帰国するチャーター便の中で「到着地長崎空港の現在の気温は22度」のアナウンスが流れると、おおっとどよめきが起きました。 イタリアもスイスも風景写真の敵「電線・看板・ガードレール」がほとんどなく、古い建物の保存や街並みの景観保護もよくなされていてどちらを向いても絵になるのが羨ましい限りでした。郊外に出ればなおさらで柔らかな曲線を描くイタリアのブドウ畑、雪解け水があちらこちらで大きな滝になっているスイスアルプスを驚きに近い感慨で見つめました。日本にもどって傍若無人に張り巡らされた電線や神経を逆撫でする看板を見て意気消沈するこの頃です。
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